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日記

「心耕す百姓」


お米一つ一つにだって、縁がいっぱいあるんだね。生活が合理化されて、サラリーマンは朝が忙しいから、パンかじって行けばいい、みたいになってるけど、お米に本来どういう意味というかパワーがあるかが分かれば、それに対する気持ちはやっぱり違ってくると思う。お米って神に捧げる食べ物でしょ。お酒もお米からできているわけでしょう。お米はすごく神聖なものとして、いろいろ姿、形を変えているしね。 
 昔の人は、たぶんお米はそういうふうに神聖なもので愛情を育むものだって無意識のうちに知っていたから、お米に感謝していたんだろうね。
 ただそういうふうに物事を考えなくなって、そういうことを全部否定した結果、合理的なもの、機能主義的なもので固めた近代文明ができ上がって、本来の人間と宇宙とのかかわりみたいなものは非合理的なものとして、闇の中に葬ってしまったと思うわけ。合理的なものを近代主義、いわば今日の知性として育ててきた。それはやっぱり問題だと思う。そんなもんじゃないと思うわけ。
(横尾忠則『ぼくは閃きを見方に生きてきた』光文社,1998年,86-87頁)

山仁、来年は必ず「農Music 農Life~土中音波~」やりましょう!
では、皆さん明晩お会いしましょう!!

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